遠いひきあわせ

1番
1994年(平成6年) 角島大橋橋梁工事着手されていた事はテレビニュースや新聞などで知っており 私もこんな仕事に携わる事が出来たらなぁ、と、心の片隅で夢見るようになりました。
それから2年後の1996年(平成8年) 9月突然ある会社から角島大橋橋梁工事に声がかかりました。まさかこんな事があるのかと不思議さと嬉しさでいっぱいになりました。しかし、よく考えてみると、同業の会社は何社もある中で、これはきっと何かが引き合わせてくれたのだと思っています。心が騒ぎ出し、2日後母も誘い家族で現地近くに駆け付けました。これがその時撮った写真です。当時、子供はまだ2人で4才と2才の男の子でしたが、現在無事に27才25才となり、その後生まれた子供は23才とみんな成人しました。
10月3日 橋脚P19着手

2番
1997年(平成9年) 7月、川崎重工業(株)播磨工場から鋼製橋脚を積み込み台船曳航運搬で下関市粟野港へ入港する。

3番
1997年(平成9年) 7・8月、 橋脚P20・22・23着手
この作業は港から船で沖にある橋脚に行き来します。夕方、作業終了後帰港で船に乗りほっとします。橋脚が少し遠ざかった時、P20・21・22・23にきれいな夕日が映えて感動し疲れを忘れました。

4番
角島大橋の長さは全長1,780メートルあり橋脚はP1~P29(29本の橋脚)まであり、その内P19~P25の7本の橋脚を施工しました。これは、P23までが施工中の様子です。

5番
角島大橋の橋脚でP22、P23が一番高く、海面から25mはあります。最上部から海面を見ると、少し足がすくみました。安全面ではとても注意しました。この2本の施工は私達には特別な思いの仕事でした。

6番
1997年(平成9年) 橋脚P19~P23も完了し、残すP24、P25の工事もいよいよ大詰めとなって来て、やった感よりも二度とこの時間を過ごすことはないと思うと、なにか淋しくなったことを思い出します。

7番
2000年(平成12年) 11月3日 角島大橋開通式で数日後この橋を通行する事が出来ました。この頃は車はわずかでしたが、だんだん観光客が増加して現在はすごい人と車です。
私は自然を破壊することは大反対です。多少の部分はと考えても心苦しくなります。そんな中で橋梁工事は、8月、かなり完成に急ピッチで進んでおり、車での利用者には大変便利が良くなるでしょう。でも、その陰では、今まで何十年も運航してきた定期船も廃止となります。この仕事に携わって来た人達もまた違う道を歩むのでしょうか。
廃止となる定期船に乗船する為、8月25日家族5人で夏休みの思い出と共に特牛から角島尾山港へと乗船しました。妻も子供達3人は初めての船でした。尾山港から暑い中、徒歩で燈台まで行きましたが、家族にすまないという気持ちでした。近くで海水浴を楽しむ事が出来、子供達も喜んでくれて安心しました。帰りは定期船の時間がない、とすごい距離を、暑い中急いで歩かせてしまいました。みんな疲れて可哀相でまたすまない、と思いました。今では家族で暑かった事、きつかった事なんか言わず、いい思い出として残っています。

Kiyomi