“あの日に帰りたい”
阿東地区に住んでいる私は、中学・高校の6年間山口線を利用して通学した。
10代の多感な時代、自分の将来に期待と不安を抱え、もがき苦しんだが充実した6年間だった。
年を重ねるごとに忘れてしまったそんな“青春の後ろ姿”を、“もう一度手のひらにつなげてみたくなり”、
6年間のほんの一コマにシャッターを合わせてみました。
始発列車【JR山口線 三谷駅・名草駅間】
中学時代、部活の朝練のある日は始発列車で通学した。朝焼けの中を走る列車の中で、朝食代わりに母親が握ってくれた“塩むすび”を頬張った。
車窓を流れる朝焼けの風景を見ながら、人気のない始発列車の中で頬張った“塩むすび”の素朴な味が思い出される。
すれ違い列車(列車交換)【JR山口線 徳佐駅】
“向かいのホームに入線した列車の窓越しに見える旅人。これからどこへ行くのだろうか。自分も向かいの列車に飛び乗りどこかへ行きたい、
そして、そのまま消えてしまいたい、と思ったことがある。“不安だらけの毎日”から逃げ出したかった。”
忘れられた傘【JR山口線 篠目駅】
“雨止んで人傘を忘れる”当時テレビ番組でよく耳にしたセリフであるが、私 は雨上がりに“傘を忘れる”天才であった。傘を忘れるたびに父親によく叱られた。今も傘を手に取ると思い出すことがある。
最終列車【JR山口線 篠目駅】
高校3年の時、受験勉強から逃げ出したくなり、放課後友達の家を遊びまわったり、図書館に行って勉強もせず友達とワイワイガヤガヤ。
帰りの“最終列車”の中、一人寂しく受験の重圧に戦いていた。